マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“天動説から地動説への転換”は、パラダイム・シフトとしては、かなり特殊――

 ――コペルニクス的転回(Copernican Revolution)は、パラダイム・シフト(paradigm shift)ではなく、パラダイム・シフトのごく一部である。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 なぜ、そういえるのか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――天動説(地球中心説

 から、

 ――地動説(太陽中心説

 への転換は、おそらく、

 ――パラダイム・シフト

 といってよいのです。

 

 が――

 このパラダイム・シフトは、

(かなり特殊であった)

 と、僕は考えています。

 

 それは――

 このパラダイム・シフトを引き起こしたブレイクスルー(breakthrough)が何であったかを考えれば、わかります。

 

 しばしば、

 ――“天動説から地動説への転換”は、コペルニクスガリレオによって成し遂げられた。

 といわれます。

 ――ガリレオ

 というのは、16世紀のイタリアに生まれた物理学者・天文学者ガリレオ・ガリレイGalileo Galilei)のことです。

 

 ガリレオは望遠鏡をいち早く取り入れた天文学者でした。

 その倍率は 10 ~ 30 倍くらいであったそうです。

 

 今日の市販の望遠鏡が 100 倍を軽く超えることを考えますと、何とも素朴な望遠鏡であったわけですが――

 望遠鏡を使わない天体観測と比べたら、雲泥の差でした。

 

 ――望遠鏡の発明

 は、まさに、

 ――ブレイクスルー

 といってよいでしょう。

 

 が――

 この、

 ――望遠鏡の発明

 というブレイクスルーが、

 ――天動説から地動説への転換

 というパラダイム・シフトを起こしたかと、問われると――

 それは肯(がえ)んじがたいと、いわざるをえません。

 

 なぜならば、

 ――望遠鏡の発明

 がなされる100年ほど前に、ニコラウス・コペルニクス(Nicolaus Copernicus)が、すでに、

 ――コペルニクス的転回

 を終え、

 ――天動説から地動説への転換

 へ至っていたからです。

 

 さらにいえば――

 そのコペルニクスの 2000 年ほど前に――

 地動説の発想は、すでに産声をあげていました。

 

 ガリレオの望遠鏡による天体観測は、

 ――天動説から地動説への転換

 の最後の一押しに過ぎず、

 ――望遠鏡の発明

 が、

 ――天動説から地動説への転換

 をもたらしたという主張には、少し無理があるのです。

 

 そもそも、

 ――天動説から地動説への転換

 をパラダイム・シフトとみなすならば――

 そのシフトは 2000年くらいをかけ、ゆっくりと起こったことになります。

 

 そして――

 そのパラダイム・シフトをもたらしたブレイクスルーは、

 ――天体観測

 という技術――実に、ざっくりとした観測の技術――を指すことになります。

 

 ――天動説から地動説への転換

 をパラダイム・シフトとみなすときに――

 それは、

 (かなり特殊なパラダイム・シフトであった)

 と僕が考えるは――

 そうした理由によります。