マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

悪魔と悪魔のような人と

 戦争のニュースを現在進行形で追っていると、

 (戦争は人の感覚を麻痺させる)

 ということが、よくわかります。

 

 例えば――

 戦争をしている一方の軍隊に密着をした報道陣からの報告を見聞きしていると――

 その軍隊に属している兵士たちが、敵方の兵士たちの乗る戦車や装甲車などを、

 ――たんなる標的

 としかみていないことが、よく伝わってきます。

 

 そうした心境を、人道的な見地から評するのは――

 今はやめておきましょう。

 

 注目をしたいのは――

 そうした心境は、戦場にいる兵士たちにとっては、ありふれた日常であり、動かしがたい現実であるに違いない――

 という確信です。

 

 戦場に常にいれば――

 人は、おそらくは全員が――

 そのような感覚に染まっていくに違いないのです。

 

 もちろん――

 かくいう僕とて――

 決して例外でないに違いありません。

 

 ……

 

 ……

 

 ――悪魔

 と、

 ――悪魔みたいな人

 とでは――

 どちらが恐ろしいか――

 ということを、先ほど、戯れ半分に考えてみました。

 

 皆さんは、どちらだと思われますか。

 

 ……

 

 ……

 

 僕の答えは、

 ――悪魔みたいな人

 です。

 

 ――悪魔

 というのは――

 おそらく、人の観念の産物であり、虚構の存在です。

 

 が、

 ――悪魔のような人

 というのは、紛れもなく、現実の存在です。

 

 人は、

 ――悪魔のような人

 の言動から、

 ――悪魔

 という観念を抜き出し――

 その形を整えてきたに違いないのです。

 

 何がいいたいのか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――悪魔よりも人のほうが恐ろしい。

 ということが――

 いいたいのです。

 

 観念として純化をされ、洗練をされている分、

 ――悪魔

 は禍々しさを失っています。

 

 ――人らしさ

 という名の様々な不純物を含み、かつ素朴で無骨な実体を伴う分、

 ――悪魔のような人

 は禍々しさをいや増します。

 

 虚構の存在より現実の存在のほうが恐ろしいのは――

 理の当然です。