マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

なぜ「近くに爆弾が落とされたかも……」と思わなかったのか

 ――独裁者が戦争を仕掛けたり、仕掛けられたりすることが多い理由

 について、きのうの『道草日記』で述べる文章を書いていたら――

 強い揺れに見舞われました。

 

 すぐに地震とわかりました。

 

 (やれやれ、また地震か――)

 と思いながらも――

 

 (この揺れ方だと、11年前の東日本大震災には及ばないかな)

 などということを考えました。

 

 揺れが収まって1時間くらいが過ぎた頃に、

 (そういえば、さっき、なんで「また地震か」って思ったんだろう?)

 ということが気にかかりました。

 

 国連の常任理事国の一角を成す大国が、隣国の主権を公然と蔑ろにし、軍事力を前面に押し出してくる時世です。

 1時間くらい前に自分が体感をした揺れは、実は、地震の揺れではなくて、例えば、近くに落ちた爆弾による揺れであったかもしれないのです。

 

 が――

 その可能性を、僕は全く考えませんでした。

 

 先日――

 日本の地震を知っているウクライナの人が、爆弾による揺れ方を日本の気象庁の震度階級でいい表そうとされている話をきいたばかりでした。

 

 (そうか。爆弾の揺れと地震の揺れとは区別がつきにくいのか)

 と思ったばかりでした。

 

 それにもかかわらず――

 僕は、地震の揺れと感じたときに、地震以外の揺れの可能性を全く念頭に置きませんでした――というよりは、念頭に置けませんでした。

 

 当然といえば、当然でしょう。

 

 近くに爆弾を落とされたという体験を――

 幸いなことに、僕は1度もしたことがありません。

 

 もし、1度でもしていれば――

 あのとき――

 咄嗟に、

 ――地震か、爆弾か。

 と自問をしていたのでしょう。

 

 そんな自問と無縁であった僕は――

 ほぼ間違いなく、

 ――平和ボケ

 なのだと思います。

 

 (それでいいよ)

 と思っています。

 

 この先、ずっと、

 ――平和ボケ

 のままでいられるのなら――

 それが一番の幸せに違いありません。