マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ウイルスに“人知を超えた知”が感じとられる理由

 世界保健機関World Health Organization)の幹部が――

 いわゆる新型コロナ・ウイルス対策を念頭に置いて、

 ――この戦いに勝利するために――

 といったことは、本当は少しおかしい、ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――コロナ・ウイルスとの戦い(the fight/battle against the coronavirus)

 は比喩表現です。

 

 ウイルスを、

 ――戦いの相手

 とみなしている点で――

 擬人化の一種といえます。

 

 いえ――

 

 きのうまでの『道草日記』の文脈の沿えば――

 正確には、

 ――擬人化

 ではなく、

 ――擬“鬼”化

 ですが――

 

 いずれにせよ――

 そうした比喩表現が、世界保健機関の幹部によって用いられている理由は、あきらかです。

 

 ウイルスが恐れられているからです。

 

 当然です。

 そのウイルスのために、世界中で、大勢の患者が命を落としていると、みられています。

 

 そして――

 その落命は、

 ――必ずしも不可避ではなかった。

 とも、みられています。

 

 その“不可避ではなかったはずの死”を――

 大勢の患者が強いられている――

 

 その点にこそ――

 人々は、

 ――人知を超えた知

 と強く感じとるのです。

 

 だからこそ、

 ――この戦いに勝利するために――

 という比喩表現を――

 世界保健機関の幹部が口にするのです。

 

 ウイルスに感染したところで、誰もが命を落とさず、すぐに治ってしまうのであれば――

 そこに、

 ――人知を超えた知

 が感じとられることはありません――少なくとも、強く意識されることはないでしょう。