マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

虚構を虚構たらしむる

 ――虚構

 が「虚構」と認識されないうちは――
 おそらく――
 それは虚構ではありません。

 ――誤認された現実

 です。

「虚構」と「誤認された現実」との違いは何か――

 それは、

 ――作為

 が認識されているかどうかです。

 虚構を提示している者の作為です。

 虚構が現実と誤認されているときは――
 その誤認の当事者は、当然のことながら、その虚構を提示している者の存在に気づいていなくて――
 もちろん、その者の作為にも気づいていません。

 これでは、虚構が虚構として認識されているとはいえない――
 たんに騙しているだけ――

 虚構の中に、いかにして作為を織り込むか――
 虚構を提示する者は――つまり、小説家とか漫画家とか映画監督とかTVドラマの演出家とかは――そこに腐心する必要があります。

 そうでなければ詐欺になる――

 虚構を虚構たらしむるための必要条件です。