マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

この現実を理性的に受けれいるのは難しい

 ウクライナの戦禍は――

 日を追うごとに、明らかに酷くなっていますよね。

 

 実際の戦争ですから――

 当たり前でしょう。

 

 ――戦争

 というのは、

 ――政治の課題に対処をするために行う人々の殺し合い

 と説明をされます。

 

 その、

 ――政治の課題に対処をするために――

 というところに着目をすれば――

 それなりに崇高な理念を唱えることはできますし――

 

 そうした理念を頭から拒むつもりは――

 今の僕にはありませんが――

 

 それでも――

 

 ――人々の殺し合い

 というところに着目をすれば、

 ――戦争

 は、ひたすらに惨たらしい営みにしかみえません。

 

 もちろん――

 そうした営みを、現在のウクライナで行っているのは――

 違法な武装勢力や犯罪者集団などではなく――

 政府が公式にみとめた正規軍どうしですから――

 

 例えば、

 ――民間人は傷つけない。

 とか、

 ――軍事施設以外は狙わない。

 とかいった建前は、ある程度は尊重をされていると思いますが――

 

 実際にやっていることが殺し合いである以上――

 どんな人でも冷静ではいられなくなると思うのですよね。

 

 ひとたび冷静さを失ってしまった人は――

 たとえ平時には、どんなに温厚で知的で誠実な人柄であったとしても――

 戦時には、自分や自分の仲間が殺されないようにするために、ありとあらゆることを試すに違いないのです――それが人情であるからです。

 

 かくいう僕も、同じ営みを行わなければならない状況に放り込まれてしまったら――

 きっと、そうすると思います――自分や自分の仲間が殺されないように、ありとあらゆることを試すに違いない――

 

 その過程で、崇高な理念はなかったことにされ、いくつかの建前も公然と無視をされることでしょう。

 

 人は弱い存在なのです。

 

 だから――

 戦争は、絶対にやってはいけないはずのことなのですが――

 

 でも――

 やっているのですよね、戦争を――

 

 この現実を、少なくとも理性的に受け入れるのは、かなり難しいことだと感じています。