今回のロシア政府によるウクライナ侵攻について、
――なんとか戦争を避けることはできなかったのか。
と、きのうの『道草日記』で述べました。
以下は、完全に後知恵であり、結果論的な発想でしかないのですが――
それでも、思わずにはいられないので、述べようと思います。
……
……
ウクライナ侵攻を始める前――
ロシア政府の首脳部は、
――ロシア人とウクライナ人とは1つの民族である。
と主張をしていました。
その主張の賛否を争点に――
もし、ウクライナ政府が、国民投票のようなことを行えていたならば――
もしかしたら、今回の侵攻は防げたのではないか、と――
僕は夢想をします。
そのような国民投票が、もし侵攻前に行われていたならば――
ウクライナの人々は、圧倒的多数で、
――ロシア人とウクライナ人とは1つの民族ではない。
との意思表示をなしていたことでしょう。
この結果は疑いようもありません。
実際には――
ウクライナの人々は、ロシア軍の侵攻を受け、一致団結をし――
この凄惨な難局に立ち向かったのです。
この団結が――
ロシア軍の侵攻によってではなく、侵攻前の国民投票によってもたらされていたならば――
どれほどに幸せであったことでしょう。
侵攻前に、国民投票という形で、ウクライナの人々の意思表示が明確になされていたならば――
さしものロシア政府も、今回のように、かなり強引な形で軍事行動に出ることはなかったのではないでしょうか。
その自重は、必ずしも、
――ウクライナの人々の意思表示は尊ぶ必要がある。
といった崇高な趣旨ではなく、
――ウクライナの人々の猛烈な抵抗を避けるには自重が必要である。
といった打算の趣旨に違いないのですが――
(それでも、よかった)
と、僕は思います。
国家と国家との駆け引きというのは――
所詮は、打算の積み重ねです。