今回のロシア政府によるウクライナへの侵攻で――
何が最も衝撃的かといえば――
平和で豊潤な日常が、いとも簡単に崩れ去った――
ということです。
いわゆる、
――ウクライナ危機
という言葉で――
数か月ほど前から現地の情勢は、わりと克明に伝えられていました。
そうした中で――
例えば、首都キーウ(キエフ)の人々の日常が、報道の映像や音声によって報告をされていて――
僕らは、温かいみのあるヨーロッパ風の石造りの街並みを目にし、そこを行きかう人々の「戦争は恐い。けど、今をしっかり生き抜くだけ」といった人情の感じられる発言を耳にしていました。
そこに広がっていたのは――
もちろん、ウクライナの首都キーウの日常であり――
その日常は現地に固有の事情によって、少なくとも表面的には彩られていましたが――
その根底にあった風景や心象は、日本にも広がっている風景や心象――おそらくは、世界の大部分の場所で同じように広がっている風景や心象――に通底をしていると容易に信じられるものでした。
簡単にいってしまえば、
(あの人たちも僕らと同じように暮らしている――細かな違いは多々あるにせよ――)
と無条件で思えた――
ということです。
毎日の業務・雑務に追われ、将来の生活への漠然とした不安を思いつつも、現在の自宅の隣人や職場の同僚らとの他愛のない会話に癒され、目の前にみえる家族や友人の笑顔に平凡な幸福を思う――
そういう体験を、日々の日常の中で絶え間なく積み重ねてきたであろう、と――
……
……
ウクライナの首都キーウの日常が、いとも簡単に崩れ去ったということは――
僕らの日常も、ある日、いとも簡単に崩れ去りうる、ということです。
それは単なる思い込みかもしれませんが――
でも、理屈を越えた直感――おそらくは、直観――なのです。
この直感ないし直観に――
今、世界中の人たちの多くが、打ちのめされている――
僕も、そうです。