――ロシア政府によるウクライナ侵攻
という呼称を、ひとまず、
――ロシア政府によるウクライナ戦争
に改める――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
さて――
このロシア政府によるウクライナ戦争――
直接的に引き起こしたのは、紛れもなくロシア政府であるわけですが――
そのロシア政府を、
――悪
と、みなしてよいか否か――
との議論があります。
今のところ、
――ロシア政府は、国際法に明確な違反をし、主権国家であるウクライナへ侵略をしているのであるから、当然ながら「悪」である。
との見解が主流です。
一方で、あきらかに傍流ながら、
――ロシア政府は、たしかに主権国家であるウクライナへ侵略をしているが、侵略をするように仕向けられただけかもしれないので、ロシア政府を安易に「悪」と決めるつけるのは控えるべきだ。
との見解もあります。
主流の見解を支えている人たちは、傍流の見解について、
――チャンチャラおかしい。
と酷評をしていますが――
その酷評に異を唱える声もないわけではありません。
どちらの見解が、より妥当でしょうか。
……
……
僕は、
(この議論は不毛である)
と考えています。
理由は――
この議論が、
――善悪
という主観的な評価基軸を用いているからです。
主観的な評価基準を用いた議論は必ず水掛け論に終わります。
別の評価基準を用いるのがよいでしょう。
例えば、
――日本の社会にとっての利害
という評価基準です。
――善悪
という評価基準の代わりに、
――日本の社会にとっての利害
という評価基準を用いると――
――ロシア政府は、国際法に明確な違反をし、主権国家であるウクライナへ侵略をしているのであるから、当然ながら「悪」である。
との見解は、
――ロシア政府は、国際法に明確な違反をし、主権国家であるウクライナへ侵略をしているのであるから、当然ながら、日本の国益を脅かしている。
と改められます。
また、
――ロシア政府は、たしかに主権国家であるウクライナへ侵略をしているが、侵略をするように仕向けられただけかもしれないので、ロシア政府を安易に「悪」と決めるつけるのは控えるべきだ。
との見解は、
――ロシア政府は、たしかに主権国家であるウクライナへ侵略をしているが、侵略をするように仕向けられただけかもしれないので、ロシア政府が日本の国益を脅かしていると安易に決めるつけるのは控えるべきだ。
と改められます。
このように2つの見解を書きかえてみれば――
議論に決着がつくのは明らかですよね。
もちろん、
――ロシア政府は、たしかに主権国家であるウクライナへ侵略をしているが、侵略をするように仕向けられただけかもしれないので、ロシア政府が日本の国益を脅かしていると安易に決めるつけるのは控えるべきだ。
との見解は、
――チャンチャラおかしい
となります。
現在の日本政府は国際法の遵守が国益に適うと考えていますし――
また、日本はロシアと海を隔てて隣接をしていて、ロシア政府の侵略の脅威をまともに受ける立場にあるからです。