今回のロシア政府によるウクライナ戦争について、
――ロシアの多数派の人々が、現在のロシア政府の最高指導者に政権を手放させように動くことはないであろう。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
なぜならば、
――ロシアの多数派の人々は、現在のロシア政府の最高指導者が政権を手放すと、ロシアは幾つかの小国に分かれて互いに戦争を仕掛け合うような内戦状態になる、と考えているから――
です。
ロシアの人々に限らず――
自分たちの国が内戦状態になるかもしれないのに、あえて政府の最高指導者を追い落とそうとするような人は、おそらく殆ど存在をしないでしょう。
一方――
ウクライナの人々についても――
今回のロシア政府によるウクライナ戦争について――
ある考え方をしようとした人は、おそらく殆ど存在をしなかったでしょう。
その考え方というのは、
――非暴力・不服従
です。
つまり、
――ロシア軍が攻め込んできても武力による反撃は何一つ行わない。ただし、ロシア軍やロシア政府が求めてくることについては何一つ応じない。
という抵抗の手法ですね。
19世紀から20世紀にかけてのインドの政治指導者マハトマ・ガンディーが選択をした手法です。
ガンディーは、今日、
――インドの独立の父
と呼ばれていますから――
この、
――非暴力・不服従
の手法は一定の成果を上げたといえることになります。
が――
今回、ウクライナ政府がロシア軍やロシア政府に対して、
――非暴力・不服従
の手法をとることは、まず考えれらなかったのだそうです。
なぜかというと――
……
……
ウクライナの多数派の人々は、
――ロシア政府に対して非暴力・不服従を貫けば、ただ殺されるだけである。
と考えたようなのですね。
――非暴力・不服従を貫けば、ウクライナの国民は根絶やしにされかねない。
と本気で心配をした人が、ウクライナでは多かったそうです。
――ガンディーの相手はイギリスだった。我々の相手はロシアだ。同じ手は通じない。
ということのようです。
たしかに――
今回のロシア政府によるウクライナ戦争において――
首都キーウ(キエフ)近郊で、ウクライナの民間人が、無抵抗にもかかわらず、数多く殺害をされたとの報道に触れたことを思うと――
(非暴力・不服従は、今回は全く意味をなさなかったかもしれない)
と感じます。