――「外国からの侵略の予防を目的とする“防衛戦争”にも反対――」というには“勇気”が必要である。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
その理由は、
――外国からの侵略の予防を目的とする“防衛戦争”にも反対――
ということは、
――外国の軍隊から攻撃を受けて実際に被害が出るまでは攻撃をしない。
ということに、ほかならないから――です。
そして――
軍事の専門家によれば――
この、
――勇気
は、
――非合理的な勇気
です。
――実際に被害が出るまで攻撃をしない。
ということは、
――例えば、防衛のための戦力を 100 だけ調えていても、実際に防衛に迫られる際には、戦力は必ず 100 未満になっている。
ということであるから――です。
しかも、その「100 未満」が「97」とか「93」とかなら、まだマシなのですが――
現代の戦争では、兵器の殺傷力が激化をしているため、先制攻撃を行う側が圧倒的に有利であり、先制攻撃を受ける側が挽回を試みるのは並大抵のことではないと考えられていますから――
ひょっとすると、その「100 未満」は「50」とか「30」とかなのかもしれないのですね。
――そんなバカげた防衛はない。
というのが、軍事の専門家の一般的な考えであるそうです。
その考えは、よくわかります。
たしかにバカげているように――
僕にも思えます。
が――
この考えを突き詰めていくと、どうしても、
――外国からの侵略の予防を目的とする“防衛戦争”
が避けられなくなります。
そして――
その“防衛戦争”を仕掛けられた側は、
――はい、すみませんでした。私たちは、実は、あなたがたへの侵略を企んでいました。
と認めることは絶対にありえません。
――これは紛れもなく侵略戦争である。侵略者たちとは断固として戦う!
と主張をするのです。
つまり、
――外国の軍隊から攻撃を受けて実際に被害が出るまでは攻撃をしない。
という“勇気”は、少なくとも軍事的には、“非合理的な勇気”といえますが――
かといって――
軍事的な合理性を突き詰めていけば――
かなりの確度で、
――侵略者
の汚名を着せられることになります。
それも、また――
非合理的であるように僕には思えます。
(どうしたものか)
と思います。