――世の中の一切は無常である。現在のロシア政府の最高指導者の人となりも、また無常である。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
きのう、現在のロシア政府の最高指導者を例に出しましたので――
きょうも――
その事例に沿って述べようと思います。
他意はありません。
……
……
実は、
――無常
であるのは、何も、
――その人となり
だけではないのです。
――その脳を含む体
も、
――無常
ですし、
――当人が置かれている状況
も、また、
――無常
なのです。
ここで見過ごせないことがあります。
それは、
――当人の置かれている状況
というのは、
――その人となり
や、
――その脳を含む体
と比べると、格段に複雑である――
ということです。
なぜかといえば――
現在のロシア政府の最高指導者・当人と関りのある全ての人たちの人となりや、それら人たちの脳を含む体の一つひとつと――
切っても切れない関係にあるからです。
この、
――当人の置かれている状況
が、
――無常
であることを確かに弁えること――
そして、それをいったん弁えた後も、ずっと弁え続けることは――
おそらく、この世の中に生きる全ての人たちにとって――
簡単なことではないでしょう。
もちろん――
現在のロシア政府の最高指導者にとっても、簡単なことではなかったはずです。
――当人の置かれている状況
というは、日々、変化をしています。
ひょっとすると、その変化は「日々」ではなく、「時々刻々と」かもしれない――
誤解を恐れずにいえば――
そうした、
――弛(たゆ)まぬ変化
への対応を黙々と続けていくことが、
――生きる
ということである――
というのが仏教の主張です。
その、
――弛まぬ変化
に目をつけて、
――なぜ変わる? 頼むから、いつまでも変わらないでいてくれ!
と願った瞬間に――
この世の中は辛苦で溢れているように感じられる――
という主張です。