マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

無常

 ロシア政府によるウクライナ戦争の報道をみて、

 ――無常

 ということをよく考えるようになりました。

 

 ――無常

 というのは、

 ――この世の中の全ての事物は変わり続け、永遠に変わらない事物などは存在をしない、ということ

 です。

 仏教の中核を成す教えの一つとみなされています。

 

 ロシア軍の侵攻が開始をされる前――

 ウクライナの人々は、いつもと変わらない日常を送っていました。

 

 ――そんな簡単に戦争が始まるわけはない。

 と多くの人々が報道機関による街頭のインタビューで答えていました。

 

 が――

 ロシア軍が侵攻を始めると――

 日常は一変をしました。

 

 つい数日前に、

 ――そんな簡単に――

 と多くの人々が口にしていたことが幻のようでした。

 

 (ああ、これが無常か)

 と、その時に思いました。

 

 ――無常

 には対義語があります。

 

 ――常住

 です。

 ――事物が永遠に変わらないこと

 です。

 

 ――無常

 の観念は、

 ――常住

 と対比をされることで際立ちます。

 

 では、

 ――常住

 は、どこにあるのか――

 

 この世の中の全ての事物は「無常である」といっているのに――

 常住――無常でない事物――が、いったい、どこに存在をしているのか――

 

 ……

 

 ……

 

 実は――

 自分の頭の中――あなた自身の心の中――にあります。

 

 ――思い込み

 のことです。

 

 例えば、

 ――戦争は、そう簡単には起こらない。

 という思い込みです。

 

 実際には――

 戦争は簡単に起こります。

 

 3月16日の『道草日記』で述べたように――

 例えば、独裁者が誤算をしたときに、簡単に起こります。

 

 が、

 ――戦争は、そう簡単には起こらない。

 という思い込みで頭が占拠をされている者にとって――

 平和な日常――戦争が起こらない日常――は、

 ――常住

 に感じられてしまうのですね。

 

 もちろん―― 

 それは錯覚です。

 

 錯覚ですが――

 

 ……

 

 ……

 

 錯覚であることに、人は、なかなか気づけない――

 

 このような文脈に立った上で、

 ――無常

 という観念を弁えておくのがよい――

 

 そう思います。