マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

勉強の得意・不得意

 ものごとの、

 ――得意(とくい)・不得意(ふとくい)

 は、少なくとも、ある程度(ていど)は、生まれつき決まっているらしい――

 と、きのう、のべました。

 

 例えば――

 勉強が得意かどうか、あるいは、不得意かどうかは、多かれ少なかれ、生まれつき決まっている――

 

 生まれつき勉強が不得意な人は、どんなに努力をかさねたところで、生まれつき勉強が得意な人に、勉強で勝つことはできない――

 

 このような不公平をどのように考えていくかは――

 年をとっていくにつれて、少しずつ、あなたの心に重くのしかかってくるでしょう。

 

 実は――

 このことは、何も、

 ――勉強

 に限(かぎ)ったことではなくて――

 

 ――運動

 ――芸能(げいのう)

 ――商売

 ――社交

 

 どれをとっても――

 当てはまるのですね。

 

 だから――

 ことさらに、

 ――勉強の得意・不得意

 を気にする必要はないようにも思えますが――

 

 そうはいっても――

 

 この国を含む多くの国々(くにぐに)で、

 ――勉強ができる人に大切な仕事を任せる仕組み

 が採り入れられている以上は――

 

 ――勉強

 だけは、ちょっと別に考える必要があるかもしれません。

 

 さて――

 あなたは、

 ――勉強の得意・不得意

 についての不公平を――

 どのように考えますか。

 

 ……

 

 ……

 

 考えたくない?

 

 ……

 

 ……

 

 それは正解(せいかい)です。

 

 実は――

 10 才のころは、自分自身の、

 ――勉強の得意・不得意

 について、そんなに真剣(しんけん)に考えても――

 あまり意味はないのです。

 

 なぜならば――

 自分は勉強が本当に得意なのかどうか、あるいは、本当に不得意なのかどうかということは――

 実は、10才くらいのうちは、よくわからないのですね。

 

 自分自身の、

 ――勉強の得意・不得意

 が本当の意味で、わかるようになるのは――

 早くても、20 才のころ――

 

 そうでなければ――

 30 才をすぎたころです。

 

 それまでは、

 ――自分は勉強が得意にちがいない!

 と自分自身にいいきかせて勉強の努力をつづけることが――

 いちばん損(そん)をしない発想でしょう。

 

 仮(かり)に――

 あなたが生まれつき勉強が得意であったとしても――

 勉強の努力をつづけなければ、勉強ができるようには決してならないからです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』