マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

とにかく努力をしていれば、それでよいか

 20 才から 30 才をすぎるころまでは、

 ――自分は勉強が得意(とくい)にちがいない!

 と自分自身にいいきかせて勉強の努力をつづけることが――

 いちばん損(そん)をしない発想であろう――

 と、きのう、のべました。

 

 このことは――

 とくに勉強に限(かぎ)ったことではなくて――

 例えば、

 ――運動

 ――芸能(げいのう)

 ――商売

 ――社交

 などでも、いえることです。

 

 短くいってしまえば、

 ――努力をつづけることが大切――

 ということですね。

 

 たとえ、生まれつき自分が得意なことであっても、努力をつづけなければ、それを活(い)かすことはできませんし――

 生まれつき自分が不得意(ふとくい)なことは、かなり努力をつづけても、それができるようにならないことをたしかめない限り、そうとはわかりません。

 

 ただし――

 

 ――努力

 ということも――

 実は、そんなに簡単ではないのです。

 

 ――努力

 には、

 ――意味のある努力

 と、

 ――意味のない努力

 とがあります。

 

 例えば――

 速く走るためのポイントとして、

 ――姿勢をよくすること

 や、

 ――腕(うで)を振(ふ)ること

 があると知っているときに――

 毎日よい姿勢で3時間くらい立ちつづけるという練習や毎日 1,000 回ずつ左右の腕を振る練習をくりかえすことは、かなりの努力であるとは思いますが――

 これらは、

 ――意味のない努力

 といえます。

 

 速く走るためには、あくまでも走る練習をくりかえすことが必要なのであって――

 その走る練習のときに、

 ――姿勢をよくすること

 や、

 ――腕を振ること

 をいつも考えつづけていくということが、

 ――意味のある努力

 なのです。

 

 ――意味のない努力

 をどんなにつづけたところで――

 できなかったことが、できるようになる、ということは、ありません。

 

 つまり、

 ――とにかく努力をしていれば、それでよい。

 ということではないのです。

 

 それが、

 ――努力

 の難(むずか)しいところです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』