マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

はじめのうちは「運命の人」と思っていたのに……

 ――運命の人

 というのは、ほとんど「たまたま――」といってもよいくらいの偶然(ぐうぜん)を通して、あらわれている――

 ということを、ぼくらは十分にわかっておく必要がある――

 と、きのう、のべました。

 

 なぜ、

 ――運命の人

 は、

 ――たまたま

 あらわれている、と――

 いえるのか――

 

 それは――

 はじめのうちは、

 ――運命の人

 と思っていたのに――

 何年か一緒(いっしょ)に、すごしてみて、

 ――どうやら運命の人ではなかった。

 と思い直す人が、あまりにも多いからです。

 

 10 人がいたら、8 人や 9 人は――

 そういう経験(けいけん)をしているのではないでしょうか。

 

 たぶん――

 あなたも、そのうちに経験をすると思います。

 

 あるいは――

 もう、すでに経験をしているかもしれませんよ。

 

 自分の胸(むね)に手を当てて――

 よく思い返してみてください。

 

 ……

 

 ……

 

 ところで――

 

 はじめのうちは、

 ――運命の人

 と思っていたのに――

 何年か一緒(いっしょ)に、すごしてみて、

 ――どうやら運命の人ではなかった。

 と思い直す人が、けっこう、たくさんいる――

 と、いま、のべました。

 

 なぜ、このような人が、たくさんいるのでしょうか。

 

 その理由は、

 ――運命の人

 というのが、

 ――体が恋(こい)をしてしまった相手

 である、と――

 考えれば、よくわかります。

 

 ――心

 にとって、恋というのは、

 ――体

 つまり、

 ――心の外

 で生まれていることです。

 

 よって――

 その体からの恋の働きかけを、

 ――心の外からの働きかけ

 とみなして、まるで、

 ――神様からのお告(つ)げ

 のように感じやすい――

 

 また――

 恋は、ささいなことが、きっかけになって生まれているらしいことが、わかっています。

 

 そんな、ささいなことをたよりに、

 ――運命の人

 をさがしていたら――

 当然のことながら――

 よく、まちがえるはずです。

 

 よって――

 はじめのうちは、

 ――運命の人

 と思っていたのに――

 何年か一緒(いっしょ)に、すごしてみて、

 ――どうやら運命の人ではなかった。

 と思い直す人が、けっこう、たくさんいる――

 

 そのように考えられます。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』