マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

こわがらなければいけない失敗

 ――失敗

 には、

 ――取り返しのつく失敗

 と、

 ――取り返しのつかない失敗

 との2つがある、と――

 きのう、のべました。

 

 また、

 ――失敗

 をこわがっていたら、いつまで経(た)っても、きちんとは学べない、とも――

 

 つまり――

 学ぶために、こわがってはいけない失敗がある――

 ということですね。

 

 ここで注意をしなければならないことがあります。

 

 この、

 ――こわがってはいけない失敗

 というのは、

 ――取り返しのつく失敗

 のことであって――

 決して、

 ――取り返しのつかない失敗

 のことではない――

 ということです。

 

 ――取り返しのつかない失敗

 というのは――

 文字通り、あとで取り返すことができない失敗のことです。

 

 具体的には、

 ――だれかが死んでしまう失敗

 あるいは、

 ――だれかが大ケガを負って体が不自由になってしまう失敗

 です。

 

 例えば――

 みんなで自動車の行き来の激(はげ)しい道路をわたるときに、横断歩道(おうだんほどう)や歩道橋のないところを選んだ結果、交通事故(こうつうじこ)にあう――

 といった失敗を指します。

 

 こういう失敗は、しっかりと、こわがらないといけません。

 

 ――大丈夫、大丈夫、ぜんぜん、こわくないよ。

 などといっていては、いけないのですね。

 

 自動車の行き来の激しい道路で交通事故にあうという失敗をしないようにするには、どうすればよいか――

 

 かならず横断歩道や歩道橋のあるところをわたるようにすればよいのですね。

 

 横断歩道や歩道橋のないところを注意深くわたるようにすればよい――

 という考えも理屈(りくつ)は通っています。

 

 が――

 人の注意力には限界(げんかい)があります。

 

 いずれ交通事故にあうでしょう。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』