――人を大切にする。
ということは、
――あなたが、あなた自身を大切にする。
ということである――
と、きのう、のべました。
それには――
自分の感じ方や考え方、動き方をよく知った上で――
どうすれば、自分らしく感じ、自分らしく考え、自分らしく動けるようになるのかを、十分に身につけておく必要がある――
と――
そうすることで――
あなたは、あなた自身を大切にすることができ――
あなた自身を大切にすることができるようになって、はじめて――
あなたは、あなた以外の誰かも大切にすることができるようになる――
と――
……
……
――人を大切にする。
というのは、
――あなたが、あなた自身を大切にする。
ということと同じですから――
もちろん――
あなたにとっての“人を大切にする方法”と、あなた以外の人たちにとっての“人を大切にする方法”とは、同じでない可能性があります。
おそらく――
同じでない可能性のほうが、同じである可能性よりも、ずっと高いでしょう。
実際(じっさい)には、
――まったく同じである
ということは、ありえなくて、
――だいたい同じである。
ということしか期待をすることができません。
このことは――
人の世の中の厳(きび)しい現実(げんじつ)を示(しめ)しています。
あなたは、あなた以外の人たちの多くを、大切にすることができないのです。
大切にしたくても、大切にできない――
何となく形式的になら、大切にできますよ。
本当の意味で――
実質的(じっしつてき)に大切にすることが、できないのです。
……
……
それは、もう仕方がないことです。
だって――
あなた以外の人たちの多くは、あなたとは、ちがった感じ方や考え方、動き方をするのですから――
……
……
ただし――
例外はあります。
ほとんど奇跡(きせき)といってもよい確率(かくりつ)で――
あなたと同じように感じ、同じように考え、同じように動こうとする人が、例外的に存在(そんざい)をしています。
そういう人と――
そして、そういう人だけと――
あなたは、たがいを大切にしあう関係になっていくのです。
――あなたは、あなた以外の人たちの多くを、大切にすることができない。
それが――
人の世の中の厳しい現実です。
『10 歳の頃の貴方へ――』