マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

異常から正常がわかる

 ――心の働き

 は、あまりにもわかりにくいで――

 まずは、

 ――“心の働き”の異常(いじょう)

 に注目をするとよい――

 と、きのう、のべました。

 

 ――“心の働き”の異常

 に注目をすると――

 おもしろいことに、

 ――“心の働き”の正常

 が、わかってきます。

 

 例えば――

 

 ――心の働き

 のうち――

 自分自身で気づいている部分を、

 ――意識(いしき)

 と呼(よ)び――

 自分自身で気づいていない部分を、

 ――無意識(むいしき)

 と呼ぶ、と――

 2月27日に、のべました。

 

 ――意識

 も、

 ――無意識

 も、

 ――心の働き

 の一部であるわけですが――

 

 なぜ、

 ――心の働き

 の中に、

 ――意識

 と、

 ――無意識

 とがある――

 と、わかったかといいますと――

 

 ――意識

 と、

 ――無意識

 との区別が、ときに、あいまいになることがある――

 ということが、わかったからです。

 

 人には、

 ――心の働き

 のうち、自分自身で気づいている部分と自分自身で気づいていない部分との区別が、あいまいになることがあります。

 

 わかりやすい例は、

 ――ねぼけ

 です。

 

 ねているときに急に起こされて――

 大声を出すことはありませんか。

 

 あるいは――

 うたたねをしているときに――

 そばにいるはずのない人がいるように感じられることはありませんか。

 

 いずれも――

 人が、ねぼけているときに経験(けいけん)をしがちなことです。

 

 ねぼけているときは――

 意識をして感じとっていることと、それ以前に意識をして感じとったことを無意識に思い出していることとの区別が、あいまいになっている――

 と考えることができます。

 

 つまり、

 ――意識

 と、

 ――無意識

 との区別が、あいまいになっているときに、

 ――ねぼけ

 が起こると考えるのです。

 

 要するに、

 ――ねぼけ

 というのは、

 ――意識の異常

 なのですね。

 

 このことがわかると、

 ――意識の正常

 が、わかります。

 

 ――意識の正常

 とは、

 ――意識

 と、

 ――無意識

 との区別が、はっきりしていることです。

 

 つまり、

 ――心の働き

 のうち、自分自身で気づいている部分と自分自身で気づいていない部分との区別をはっきりさせることが、

 ――意識の正常

 である――

 ということです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』