マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

正常な“心の働き”とは?

 ――心の働き

 のうち、自分自身で気づいている部分と自分自身で気づいていない部分との区別が、あいまいになることがあって――

 そのことに注目をすることで、

 ――心の働き

 には、

 ――自分自身で気づいている部分と自分自身で気づいていない部分との区別をはっきりさせる、ということ

 が、あるらしいと、わかる――

 と、きのう、のべました。

 

 ――自分自身で気づいている部分

 は、

 ――意識(いしき)

 と呼(よ)ばれていて、

 ――自分自身で気づいていない部分

 は、

 ――無意識(むいしき)

 と呼ばれています。

 

 だから、

 ――自分自身で気づいている部分と自分自身で気づいていない部分との区別をはっきりさせる、ということ

 は、

 ――正常な“心の働き”

 の一部と考えられます。

 

 つまり、

 ――意識

 とは、

 ――心の働き

 の一部であり――

 それをあえて簡単(かんたん)にいいかえると、

 ――気づくこと

 となります。

 

 同じようにして、

 ――心の働き

 には、

 ――意識

 のほかにも数多くあることが、わかっています。

 

 例えば、

 ――知覚(ちかく)

 は、

 ――感じとること

 であり、

 ――思考(しこう)

 は、

 ――言葉を使うこと

 であり、

 ――感情(かんじょう)

 は、

 ――気持ちが変わること

 であり、

 ――意欲(いよく)

 は、

 ――やる気になること

 であり、

 ――知能(ちのう)

 は、

 ――むずかしい言葉をすばやく複雑(ふくざつ)に使えること

 であり、

 ――記憶(きおく)

 は、

 ――そのときのことをあとあとまで覚えておくこと

 である、といえます。

 

 これらは、すべて、

 ――正常な“心の働き”

 の一部です。

 

 そして、

 ――意識の異常

 から、

 ――意識の正常

 が、わかるように――

 どれも、

 ――異常な“心の働き”

 に注目をすることで、わかることばかりなのです。

 

 例えば、

 ――知覚の異常

 から、

 ――知覚の正常

 が、わかり――

 

 ――思考の異常

 から、

 ――思考の正常

 が、わかり――

 

 ――感情の異常

 から、

 ――感情の正常

 が、わかり――

 

 ――意欲の異常

 から、

 ――意欲の正常

 が、わかり――

 

 ――知能の異常

 から、

 ――知能の正常

 が、わかり――

 

 ――記憶の異常

 から、

 ――記憶の正常

 が、わかるのです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』