マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自分自身の心:実は目に見えている?

 ――心

 が目に見えないのは、

 ――心

 が、

 ――脳(のう)の働き

 であるからである――

 と、きのう、のべました。

 

 ――磁石(じしゃく)の働き

 である、

 ――磁力(じりょく)

 が目に見えないように――

 

 ――電池の働き

 である、

 ――通電(つうでん)能力

 が目に見えないように――

 

 ――脳の働き

 である、

 ――心

 も、また、目には見えないである――

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 ところが――

 

 ここに一つ、やっかいな問題が、かくれているのです。

 

 ――心

 は目に見えない――

 と、のべました。

 

 それは、その通りなのですが――

 

 目に見えないのは、

 ――自分以外の誰かの心

 であって――

 

 ――自分自身の心

 は、目に見えるのです。

 

 少なくとも――

 目に見えるような気がします。

 

 これは、

 ――意識(いしき)

 という“心の働き”によるところが大きいのです。

 

 ――心の働き

 というのは、正しくは、

 ――脳の働きの一部

 でした。

 

 ――意識

 という名の、

 ――脳の働きの一部

 は、

 ――脳の働き

 のうち、自分自身で気づける部分と自分自身では気づけない部分とを、はっきりと分ける働きを指しています。

 

 ここで、

 ――自分自身で気づける部分

 が、

 ――自分自身では気づけない部分

 から、あきらかに区別をされている、という働きが、

 ――心も、実は目に見えているのではないか。

 という誤解(ごかい)を生じさせているのです。

 

 実際(じっさい)には――

 たんに感じられているだけであって、目に見えているわけでは決してないにもかかわらず――

 

 ……

 

 ……

 

 かりに、

 ――自分自身の心

 が目に見えているように感じられるにしても――

 それは、あくまでも、

 ――意識

 によって気づかれる部分だけであって――

 

 ――無意識(むいしき)

 によって気づきそこねている部分があるということには、注意が必要です。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』