マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

意識の不利

 ――意識(いしき)の有利

 は、

 ――自我(じが)

 によって、もたらされている――

 と考えられることを、きのう、のべました。

 

 ――自我

 は、無意識のうちに、

 ――昔の自分自身

 を素(もと)としているために、

 ――意識

 にとっての、たしかな基準(きじゅん)になることができ、

 ――意識

 を正しく働かせることができる――

 

 それゆえに、

 ――意識を働かせる生き物

 は、

 ――生き物たちによる自然の中での生き残り競争

 で有利な立場にいられる――

 

 そういうことです。 

 

 が――

 

 ――意識

 には有利なことばかりではありません。

 

 不利なこともあります。

 

 最大の不利は、

 ――自分で自分自身のことがわかってしまう。

 ということです。

 

 今の自分が幸せかどうか――

 

 今、幸せだとして――

 その幸せは、いつまで続きそうか――

 

 ……

 

 ……

 

 当然のことながら――

 

 幸せは、いつまでもは続きません。

 

 いつかは終わる――

 

 それは――

 自分以外の他の生き物をみていたら――

 イヤでも、わかってきます。

 

 どんなに幸せな生き物も、いつかは不幸せになる――

 場合によっては、命を落とす――

 

 それがわかってしまうから――

 

 ――意識を働かせる生き物

 は、さらなる幸せを追い求めて欲(よく)を出しやすいのです。

 

 ――自分の幸せも、いつかは終わるらしい。が、それを少しでも先のばしにしようではないか。

 ということです。

 

 ――意識

 が働いていると――

 どこかで満足をするということが、なかなかできなくなります。

 

 ヒトは、

 ――意識

 をよく働かせています。

 

 だからでしょう。

 つねに欲ばりです。

 

 放っておけば――

 いつまでも欲を出し続けます。

 

 ――もっと幸せに! もっと幸せに!

 

 それは、

 ――意識の不利

 といってよいでしょう。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』