マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

それでも民主主義のシンボルといえる理由

 ――選挙

 は、

 ――民主主義(みんしゅしゅぎ)

 のシンボルになってはいるけれども、

 ――多数決

 に、よく似(に)た仕組みであるために、

 ――権威主義(けんいしゅぎ)

 の一面をもっている――

 と、きのう、のべました。

 

 ――多数決のルール

 は、もともと、

 ――権威主義

 で重く用いられてきた歴史(れきし)を――

 忘(わす)れないようにしましょう。

 

 とはいえ――

 

 もちろん、

 ――選挙

 には、

 ――権威主義

 とは合わない一面もあります。

 

 だからこそ、

 ――民主主義

 のシンボルになっているわけです。

 

 ――選挙

 がもつ民主主義の一面を挙げるなら――

 第一に、

 ――誰でも投票ができる。

 ということで――

 第二に、

 ――誰でも立候補(りっこうほ)ができる。

 ということです。

 

 つまり――

 みんなから投票をされれば、誰でも話しあいの代表者になれるし――

 その投票には誰もが参加をできる――

 という意味で――

 

 ――選挙

 は、

 ――権威主義

 とは合わない一面をもっているのですね。

 

 そもそも、

 ――権威主義

 では話しあいが行われません。

 

 だれか特別な人が、一人で何でも決めてしまい――

 その決定に多数の人たちが無条件(むじょうけん)に従(したが)うのが、ふつうです。

 

 仮(かり)に、話しあいが行われたとしても――

 その話しあいには、ごく限(かぎ)られた人たちしか参加ができないようになっています。

 

 ですから、

 ――選挙

 は、たしかに、

 ――民主主義

 のシンボルになりうる――

 正しくは、

 ――非権威主義

 のシンボルになりうる――

 のですが――

 

 その結果によって一定の権威(けんい)が生じ――

 その権威を活かすことによって、話しあいに参加をする人たちを限っていくことになるので――

 どうしても、

 ――権威主義

 の一面も併(あわ)せもっている――

 と、いわざるをえないのですね。

 

 本当に、ややこしい話です。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』