マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

民主主義の国:まだ「生まれたばかり――」

 ――話しあいを諦(あきら)めて殺(ころ)しあいに頼ってきた歴史が、どの国にもある。

 と、きのう、のべました。

 

 一般(いっぱん)に、

 ――民主主義(みんしゅしゅぎ)の国

 では、あらゆる問題の解決(かいけつ)が話しあいで図られ、

 ――権威主義(けんいしゅぎ)の国

 では、しばしば話しあいが諦められて、殺しあいによって問題の解決が図られます。

 

 このことは――

 もちろん、

 ――権威主義の国

 の弱点と考えられますが――

 

 ――民主主義の国

 の人たちにとっても――

 決して他人事(ひとごと)ではありません。

 

 何しろ――

 いま、

 ――民主主義

 をとり入れている国であっても――

 ほんの 100 年くらい前は、

 ――権威主義の国

 であった国が、ほとんどなのです。

 

 人の歴史は、だいだい 3,000 ~ 10,000 年前に始まっています。

 

 3,000 ~ 10,000 年のうちの 100 年です。

 

 つまり――

 ほとんどの、

 ――民主主義の国

 は、まだ、

 ――生まれたばかり――

 と、いえるのです。

 

 たとえ、今、

 ――民主主義の国

 にいても――

 ――権威主義の国

 では、しばしば話しあいが諦められ、殺しあいによって問題の解決が図られている、ということを――

 決して軽く考えないほうがよいでしょう。

 

 もちろん――

 日本にいても――

 そうです。

 

 たしかに――

 日本は、いま、

 ――民主主義の国

 です。

 

 が――

 この後、いつ、

 ――権威主義の国

 に逆(ぎゃく)もどりをしてしまうのか、だれにも、わかりません。

 

 あるいは――

 

 ――権威主義の国

 に逆もどりはしなくても――

 表向きは、

 ――民主主義の国

 のままであって――

 裏(うら)で、殺しあいによる問題の解決が図られるような国になってしまうかもしれない――

 

 それゆえに――

 

 ――話しあいを諦めて殺しあいに頼ってきた歴史が、どの国にもある。

 ということを――

 ぼくたちは、決して忘(わす)れてはいけないのです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』