マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

世の中の捉え方:どうなれば身についたといえるのか

 ――世の中の捉(とら)え方

 というのは、学校で勉強をすることに他ならないけれども――

 学校のテストで高い点数をとったり、高校や大学の入学試験に合格をしたりしているからといって、

 ――世の中の捉え方

 が身についているとは限(かぎ)らない――

 と、きのう、のべました。

 

 ――世の中の捉え方

 が身についているかどうかは、実際(じっさい)に、

 ――社会や自然のことが十分にわかっているかどうか。

 によってのみ、計られます。

 

 社会や自然のことが十分にわかっているというのは――

 きびしくいえば――

 社会人として一人前の生活が送れるようになっている――

 ということ――

 あるいは――

 自然の中に一人で放り出されても生き残れるようになっている――

 ということです。

 

 とはいえ――

 

 今の日本で――

 17 才から 20 才くらいまでの人が――

 社会人として一人前の生活を送ることはありふれたことではなく、また、自然の中に一人で放り出されることも滅多(めった)にないことです。

 

 よって、

 ――世の中の捉え方

 が身についているかどうかを本当の意味で計れる方法というのは――

 実際には、ほとんどありません。

 

 では、何で計るのかというと――

 社会や自然のことをしっかりと語れるかどうか――

 で計ります。

 

 ――社会とは、こういうところである。

 とか、

 ――自然は、こういうふるまいをする。

 とかいったことについて――

 社会や自然のことをまだよくわかっていない子どもたちにも、わかりやすく語れるかどうか――

 あるいは――

 社会や自然のことをすでによくわかっている大人たちと、対等に語り合えるかどうか――

 です。

 

 これらのことが、ふつうにできるようになったと感じられたときに――

 あなたは、

 ――世の中の捉え方

 が身についた――

 といってよいのです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』