マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ふつうの人と人と関係では相手の出方がわからない

 ――親孝行(おやこうこう)

 の段階(だんかい)の親子関係は、

 ――子(こ)慈育(じいく)

 の段階の親子関係と、ふつうの人と人との関係との中間であるといえる――

 と、8月26日に、のべました。

 

 そして――

 

 子どもは――

 まだ十分に育っていなくて、なかなか一人では生きていけないような年令のうちは、

 ――子慈育

 の段階の親子関係に、どっぷり、つかっていて――

 ふつうの人と人との関係のことを何も学べないけれども――

 その段階を抜(ぬ)け出し、十分に育ってきて、一人で生きていけるような年令になって、

 ――親孝行

 の段階に入り始めると――

 その段階の親子関係を通し、ふつうの人と人との関係を学び始める――

 とも、のべました。

 

 つまり、

 ――親孝行

 の段階の親子関係では――

 子どもは――

 いつでも、相手が自分と、

 ――仲良くしたい。

 と思っていると決めつけてよかったのですが――

 ふつうの人と人との関係では――

 そうとは決めつけられないのですね。

 

 相手が自分と、

 ――仲良くしたい。

 と思っているかもしれないことだけではなくて――

 

 ――仲良くしたくない。

 とか、

 ――どちらでもない。

 とかと思っているかもしれないことまで考えなくてならなくなります。

 

 かなり複雑(ふくざつ)です。

 

 ――親孝行

 の段階の親子関係では――

 相手の出方がわかっていますから――

 

 その出方に対して――

 自分が、どのような出方をすればよいのかを考えるだけです。

 

 ところが――

 

 ふつうの人と人との関係では――

 そうはいきません。

 

 相手の出方がわからないのです。

 

 よって――

 相手が自分と、

 ――仲良くしたい。

 と思っている場合と、

 ――仲良くしたくない。

 と思っている場合と、

 ――どちらでもない。

 と思っている場合との――

 少なくとも3通りの場合について――

 自分が、どのような出方をすればよいのかを考える必要があります。

 

 3通りの場合について、それぞれに考えていくのは――

 けっこう複雑ですよ。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』