マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ある程度“親孝行”が上手になっていないと――

 人と人との関係は親子関係と同じではない――

 と、きのう、のべました。

 

 その理由として――

 親は、ふつう子どもと、

 ――仲良くしたい。

 と思っているものであるけれども――

 人は、ふつう人と、

 ――仲良くしたい。

 と思っているものではない――

 ということを挙げました。

 

 もちろん、

 ――仲良くしたい。

 と思っている相手はいるものですが――

 

 ――仲良くしたくない。

 と思ってっている相手も多く――

 

 また、

 ――どちらでもない。

 と思っている相手も、さらに多いのです。

 

 人と人との関係を望ましい在(あ)り方にするには、

 ――仲良くしたい。

 と思っている相手だけでなく、

 ――仲良くしたくない。

 とか、

 ――どちらもでない。

 とかと思っている相手に対しても、望ましい関係を作っていくことが必要です。

 

 そういうときに――

 例えば、親子関係における、

 ――親孝行(おやこうこう)

 の発想にこだわっていると――

 一部の人とは望ましい関係になれるでしょうが――

 それ以外の多くの人たちとは、望ましくない関係になってしまいます。

 

 あなたと、

 ――仲良くしたい

 と思っている人に対しては、

 ――親孝行

 の発想でよいでしょう。

 

 が――

 あなたと、

 ――仲良くしたくない。

 と思っている人や、

 ――どちらでもない。

 と思っている人に対しては、

 ――親孝行

 の発想ではダメです。

 

 その発想だと―― 

 あなたと、

 ――仲良くしたい。

 と思っている人とは――

 おそらく望ましい関係が作れるのですが――

 

 あなたと、

 ――仲良くしたくない。

 とか、

 ――どちらでもない。

 とかと思っている人とは――

 おそらく望ましい関係は作れません。

 

 むしろ――

 ケンカばかりするような関係になるでしょう。

 

 ですから――

 どんなに、

 ――親孝行

 が上手になったとしても――

 人と人との関係を望ましい在り方にできるわけではありません。

 

 が――

 

 ある程度(ていど)は、

 ――親孝行

 が上手になっていないと――

 人と人との関係を望ましい在り方にすることは、夢(ゆめ)のまた夢です。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』