マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

不得意だから「勉強しなくてよい」とはならない

 社会のことばかり勉強をしている大人も――

 自然のことばかり勉強をしている大人も――

 どちらも問題である――

 と、きのう、のべました。

 

 これらの問題のことをぜひ――

 みなさんには知っておいてもらいたいと思っています。

 

 なぜかというと――

 

 みなさんには――

 社会のことばかり勉強をする大人にも――

 自然のことばかり勉強をする大人にも――

 なってほしくないからです。

 

 社会のことも自然のことも、どちらも十分に勉強をしてほしい――

 そう思っています。

 

 ……

 

 ……

 

 実は――

 

 ぼくが、みなさんくらいの年令であったころ―― 40 年前――は――

 社会のことばかり勉強をする大人や――

 自然のことばかり勉強をする大人が――

 問題であるとは、あまり考えられていませんでした。

 

 むしろ、

 ――きみは、どっちの大人になる?

 と、きかれたりしたものです。

 

 ――社会のことばかり勉強をする者

 は、

 ――文系(ぶんけい)

 と、よばれて、

 ――自然のことばかり勉強をする者

 は、

 ――理系(りけい)

 と、よばれました。

 

 ――お父さんは理系だから、お前も理系だろう。

 とか、

 ――お母さんは理系がダメだったから、あなたは文系ね。

 とかいった会話が、なかば本気で交わされていたのです。

 

 意味のない会話でした。

 

 大人になるまでも――

 大人になってからも――

 人の世の中を生きていくには、

 ――社会

 のことと、

 ――自然

 のことと――

 そのどちらもが大切なのです。

 

 もちろん――

 どんな人にも得意(とくい)・不得意(ふとくい)はあります。

 

 社会のことが不得意な人や――

 自然のことが不得意な人は――

 必ず、います。

 

 が――

 不得意であるからといって「勉強しなくてよい」ということには、ならないのですね。

 

 人の世の中で生きていくからには――

 社会のことも――

 自然のことも――

 そのどちらも勉強をしなくてはなりません。

 

 なぜならば――

 

 ――人の世の中

 とは、

 ――社会

 であり――

 

 ――社会

 とは、

 ――ヒトに固有の生態(せいたい)

 であり――

 

 ――生態

 は、

 ――自然の環境(かんきょう)の中

 にあるものであり、

 ――自然の環境の中

 にあることでも、あるからです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』