マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

科学的に考えられる

 ――科学(かがく)は理科でしか学べない。

 と、きのう、のべました。

 

 ――科学

 を学ぶということは、

 ――仮説(かせつ)の立て方

 や、

 ――実験・観察による調べ方

 を学ぶということである、と――

 

 ……

 

 ……

 

 しばしば、

 ――物事を科学的(かがくてき)に考えられる人になりなさい。

 などといわれますね。

 

 この言葉の意味を、

 ――理屈(りくつ)通りに考えられる人になりなさい。

 と思っている人がいます。

 

 たしかに、理屈は大切ですが――

 

 ちがうのです。

 

 もっと具体的な意味なのです。

 

 ――科学的に考えられる。

 というのは、

 ――仮説を立て、その仮説の正しさを実験・観察によって調べられる。

 という意味なのですね。

 

 とくに大切なのは、

 ――仮説

 です。

 

 ――実験

 や、

 ――観察

 は、きちんとやろうと思ったら、けっこう大変なのです。

 

 みなさんくらいの年令では、ごく簡単(かんたん)な実験や観察しかできません。

 そのような実験や観察であっても、きちんと、まちがいがないように行うのは、決して楽ではありません。

 

 実は、大人にとっても――

 そんなに楽なことではないのですね。

 

 が、

 ――仮説

 を立てることだけなら――

 そんなに大変ではありません。

 

 みなさんくらいの年令でも――

 すぐに正しく立てられるようになります。

 

 ふだんから仮説を立てる練習をくりかえしていれば――

 そんなに年月をかけなくても、仮説を正しく立てられるようになるのです。

 

 仮設を正しく立てられるようになったら――

 その仮説が正しいかどうかを実験や観察によって調べたくなるのは、当然のことです。

 

 それら実験や観察は、やさしい場合があれば、むずかしい場合もあります。

 

 やさしい場合は、すぐにやってみればよい――

 

 むずかしい場合は、なぜ、むずかしいのかを十分に考えることです。

 本や雑誌(ざっし)、図鑑(ずかん)、インターネットなどを使って調べてみるのもよいでしょう。

 

 が――

 たまに、これといった実験や観察をしなくても――

 自分の立てた仮説が正しいかどうかが、すぐにわかることがあります。

 

 例えば、

 ――あ! お父さん、帰ってきた。玄関(げんかん)のドアが勢(いきお)いよく閉(し)まった。お父さん、機嫌(きげん)が悪(わる)いのかも……。

 というのは、立派(りっぱ)な仮説なのですが――

 

 この仮説が正しいかどうかについて――

 やけにあっさりと、わかることがあります。

 

 ――お? その後、すぐにトイレのドアが閉まったぞ。お父さん、ただ急いでただけなんだ。

 というように――

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』