マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

あたかも科学であるかのような――

 とくに理由もなく何かを信じてしまうことは――

 ふつうは、あまりよいことではない――

 と、きのう、のべました。

 

 例えば――

 ある、

 ――科学(かがく)

 の活動について―― 

 その、

 ――反証可能性(はんしょうかのうせい)

 や、

 ――再現性(さいげんせい)

 が、きちんと守られているかどうかを確(たし)かめていないのに――

 その活動がもたらしたとされる結果を信じてはいけないのです。

 

 約束事がきちんと守られているかどうかを確かめないうちに何かを信じてしまうということがよくない――

 ということは、何も、

 ――科学

 に限(かぎ)ったことではありません。

 

 ――政治(せいじ)

 とか、

 ――経済(けいざい)

 とか、

 ――司法(しほう)

 とか、

 ――医療(いりょう)

 とか、

 ――芸術(げいじゅつ)

 とか、

 ――スポーツ

 とかであっても――

 約束事がきちんと守られているかどうかを確かめることは、とても大切です。

 

 約束事がきちんと守られていなければ――

 それは偽物かもしれませんので――

 

 ……

 

 ……

 

 が――

 

 1つだけ――

 例外があります。

 

 ――宗教(しゅうきょう)

 です。

 

 ――宗教

 では――

 とくに理由もなく何かを信じてしまうことが活動の始まりであったりします。

 

 ――宗教

 にも約束事はあるのですが――

 約束事が全てではないのですね。

 

 約束事のある・なしに関わらず――

 まずは、

 ――信じる。

 ということから活動が始まります。

 

 例えば、

 ――「神さまはいる」と信じる。

 ということから始まる――

 

 ……

 

 ……

 

 このような、

 ――宗教

 の始まり方を、

 ――科学

 にも当てはめてしまおうとする人たちがいます。

 

 ――あたかも科学であるかのような宗教

 ですね。

 

 ――偽物の科学

 の例の1つです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』