マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

数学の反証可能性や再現性が少しグラつき始めている

 ――数学

 には、

 ――反証可能性(はんしょうかのうせい)

 と、

 ――再現性(さいげんせい)

 とがあるために――

 たしかに、

 ――数学

 は、

 ――科学(かがく)

 であるといえる――

 と、10月18日に、のべましたが――

 

 ……

 

 ……

 

 実は――

 この 10 年くらいの間に――

 

 数学の反証可能性や再現性が少しグラつき始めています。

 

 ある数学者が、新しい考え方を取り入れ、かなりユニークな理論(りろん)をとなえたのですが――

 その理論が、本当に正しいのかどうかについて――

 世界の数学者たちの意見が割(わ)れているのです。

 

 ――数学の理論が正しいのかどうか――

 というのは、

 ――「数」という名の言葉について、自分の頭で、どこまでも理屈(りくつ)の通りに考えられているかどうか――

 ということです。

 

 ある数学者は、

 ――正しい。どこまでも理屈の通りである。

 といい――

 別の数学者は、

 ――正しくない。あるところで理屈の通りになっていない。思いこみで考えている。

 といいます。

 

 すると――

 また別の数学者が、

 ――「思いこみで考えている」ということこそ思いこみではないか。

 というようなことをいい――

 またまた別の数学者が、

 ――あの思いこみが「思いこみ」とわからないようであれば、これ以上、意見をのべあっても仕方がない。この理論が本当に正しいのかどうかについて、話しあいをするのは、もう、やめにしようではないか。

 というようなことをいいます。

 

 ――話しあいをするのは、もう、やめにしようではないか。

 という呼(よび)びかけが、どれくらい多くの数学者の心に響(ひび)いているのかについては――

 よくわかりません。

 

 が――

 仮(かり)に、世界中の半分以上の数学者たちの心の響いているようなら――

 

 (ちょっと、あぶないな)

 と思います。

 

 ――あぶない。

 というのは、

 ――数学の反証可能性や再現性が、くずれてしまうかもしれない。

 という意味です。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』