ある数学の理論(りろん)のことで――
それが正しいかどうかについて、
――話しあいをするのは、もう、やめにしようではないか。
という呼(よび)びかけが――
仮(かり)に、世界中の半分以上の数学者たちの心の響(ひび)いているようなら――
――数学の反証可能性(はんしょうかのうせい)や再現性(さいげんせい)は、くずれてしまうかもしれない。
と、きのう、のべました。
――数学の反証可能性や再現性が、くずれる。
ということは、
――数学は科学(かがく)――人文科学(じんぶんかがく)――ではなくなる。
ということです。
――反証可能性
とは、
――仮説(かせつ)――仮(かり)の説明――がまちがっているときは、どこがどんなふうにまちがっているのかが、ハッキリとわかる、ということ
であり、
――再現性
とは、
――実験・観察は何回でも繰(く)りかえすことができて、その度に、結果は、いつでも同じである、ということ
である――
ということは、10月4日から、くりかえし、のべている通りです。
――話しあいをするのは、もう、やめにしようではないか。
という呼びかけは、
――どこがどんなふうにまちがっているのかは、もうハッキリしないであろう。
という諦(あきら)めであり、
――結果が、いつでも同じであるとは、かぎらない。
という疑(うたが)いであると考えられます。
つまり、
――話をあいをするのは、もう、やめにしようではないか。
という呼びかけは、
――数学は科学ではないのではないか。
という諦めや疑いでもあるのです。
それらの気持ちは、
――数学は科学である――人文科学である。
と信じているならば――
ぜったいに出てこない気持ちであるはずです。
その数学の理論が――
今後、世界中の数学者たちによって、どのようにあつかわれていくのかを、きちんと見きわめていくことができれば――
数学が、はたして本当に科学であるのかどうか――
だいぶ、あきらかになるはずです。
『10 歳の頃の貴方へ――』