マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

巨大で壮麗な窓

 算数・数学は、

 ――脳(のう)の窓(まど)

 である――

 と、のべています。

 

 この“窓”は、けっこう巨大(きょだい)で、複雑(ふくざつ)な造(つく)りをしています。

 

 見方によっては、かなり壮麗(そうれい)です。

 

 ――壮麗

 というのは――

 ふつうは大きなものが美しいことを指します。

 

 その“窓”は、とにかく大きくて、わかりにくくて――

 でも――

 人によっては、

 ――美しい

 と感じられます。

 

 ――大きくて、わかりにくい――

 というのは、

 ――だれもが、その全体を見わたせない。

 ということです。

 

 算数・数学を専門(せんもん)に学び究めている数学者たちでさえ――

 その“窓”の全体は見わたせないそうです。

 

 同じ算数・数学であっても――

 自分が専門に取りくんでいるわけではないテーマについては、

 ――よくわからない。

 といいます。

 

 よって――

 算数・数学の全体をよくわかっている人というのは、存在(そんざい)をしないのですね。

 

 が――

 そんな“窓”を、数学者たちは、

 ――美しい

 と感じています。

 

 数学者たちだけではありません。

 算数・数学に興味(きょうみ)をもっている大人は、みんな――

 この“窓”を、

 ――美しい

 と感じているはずです。

 

 全体がよくわからないのに、

 ――美しい

 と感じているのは、おかしい――

 と、ふしぎに思う人がいるかもしれません。

 

 たしかに、ふしぎですね。

 

 その“窓”の全体を見わたしている人は、だれもいないのに――

 みんなが、

 ――美しい

 と感じている――

 

 ――巨大で壮麗な窓――

 と思っている――

 

 ……

 

 ……

 

 もちろん――

 その“窓”の一部分をみて、

 ――美しい

 と感じていることにはウソがなくて――

 

 その一部分をもとに想像をたくましくすることによって――

 全体を、

 ――美しい

 と感じている――あるいは、「美しい」と思いこんでいる――

 

 そういうわけなのです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』