マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

体育は無意識である

 脳(のう)にとって、

 ――通風装置(つうふうそうち)

 は無意識(むいしき)である――

 と、きのう、のべました。

 

 ここでいう、

 ――通風装置

 とは、

 ――体育

 の喩(たと)えでした。

 

 もし――

 脳にとって、

 ――算数・数学

 が、

 ――脳の窓(まど)

 であるならば、

 ――体育

 は、

 ――通風装置

 である――

 という喩えです。

 

 よって、

 ――通風装置

 は無意識である――

 というのは、

 ――体育

 は無意識である――

 ということになります。

 

 ……

 

 ……

 

 もちろん、

 ――体育

 の全てが無意識ではありません。

 

 体育にも、意識をしなければできないことは、少なくありません。

 

 が――

 ふつう人が体を動かすときに、一つひとつの動きを気にかけたりはしません。

 

 体の動きの多くは無意識です。

 

 体の動きの一部を少し気にかけることで、動きの全部がよくなる――

 というようなことはあるのですが――

 

 体の動きの全部を一つひとつ気にかけていたら――

 50 メートルを走ることさえ、できないでしょう。

 

 そのような意味で、

 ――体育

 は無意識なのです。

 

 もう一つ――

 大切なことがあります。

 

 それは――

 体を動かすときに――

 その体には必ず大きさがあり、形がある――

 ということです。

 

 大きさは数で表されます。

 

 つまり――

 人が体を動かすときに、脳が扱(あつか)っているのは、まぎれもなく、

 ――数や形に関わる情報(じょうほう)

 なのです。

 

 よって――

 脳にとって、

 ――数や形に関わる情報

 が、

 ――風

 であるならば――

 

 ――体育

 は、たしかに、

 ――通風装置

 である――

 といえます。

 

 もちろん――

 その、

 ――通風装置

 にも、いろいろあることは――

 ぜひ知っておきたいところです

 

 ただの、

 ――風を通すだけの穴(あな)

 があれば、

 ――換気扇(かんきせん)

 もあり、

 ――エアコン

 もあります。

 

 ――体育

 も同じです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』