マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

小異、大同

 アインシュタイン(Einstein)も『論語』も――

 同じことをいっている。

 

 ――Education is what remains after one has forgotten what one has learned in school.(教育とは学校で習ったことを忘れた後に残っていることである)

 も、

 ――学びて思はざれば則ち罔(くら)し。

 も――

 

 要は、

 ――思考をする癖

 の大切さを説いている。

 

 洋の東西や時代の情勢は異なるが――

 いっていることは変わらぬ。

 

 東洋人が、西洋の学を知り、芸を愛でる時――

 初めは相異ばかりが気になる。

 

 が――

 知り、愛でることを重ねていくと――

 いつしか相同に気がつく。

 

 西洋人も――

 東洋の学や芸に対しては――

 おそらく、同じである。

 

 ……

 

 ……

 

 今――

 東洋と西洋とに分けた。

 

 この区分に当てはまらぬ文化圏も数多い。

 

 が――

 おそらくは、同じである。

 

 人は――

 自分の属さぬ文化圏に浸る時――

 まずは――

 相異に目が向く――向かざるをえぬ。

 

 それは始まりである。

 

 次いで――

 相同に目が向く――自然と目が向く。

 

 そして――

 また相異に目が向く。

 

 そして――

 また相同――

 

 その繰り返しである。

 

 ……

 

 ……

 

 より大切なのは、

 ――相同

 の方であろう。

 

 ――相異

 は、

 ――相同

 を見出す手がかりに過ぎぬ。

 

 ――小異を捨てて大同に就く。

 という。

 

 本来の意味は、

 ――僅かな意見の違いには目をつむり、多数派の意見に従う。

 という意味だ。

 

 が――

 今は違う意味としておきたい。

 

 ――自分が属さぬ文化圏では、相異を小異とし、相同を大同とする。

 

 ……

 

 ……

 

 『随に――』