政府:個人 = 超国家共同体:国家
の図式を、きのうの『道草日記』で示しました。
これを示した後で、
(なんか違うな)
と感じ始めました。
当初は、どこに違和感があるのかも、よくわからなかったのですが――
しばらく考えているうちに、
(これだと、「超国家共同体」じゃなく、「超国家連合体」だな)
と思ったのです。
つまり、
政府:個人 = 超国家共同体:国家
ではなく、
政府:個人 = 超国家連合体:国家
であると思い直したのですね、
ここでいう、
――超国家連合体
というのは――
実は、今日でいうところの国際連合やヨーロッパ連合、北大西洋条約機構そのものでしょう。
よって――
もし、
政府:個人 = X:Y
の図式の「X」に「超国家共同体」を当てはめるならば、「Y」には「国家」の代わりに何か別の言葉を当てはめる必要があります。
それは、どんな言葉か――
……
……
おそらく、
――文化圏
とか、
――言語圏
でしょうね。
というのは――
政府:個人 = 超国家共同体:Y
の図式の「Y」が表す観念は――
今日の国家が、その主権を失ったあとに残す――あるいは、その主権が弱まったあとに残す――観念であり――
簡単にいってしまえば、国家が実質的に消滅をしたあとに残る名残ないし痕跡のようなものと考えられるからです。
国家の名残とか痕跡というのは、おそらくは――
人々が、既存の文化や言語によって、互いに何となく結びつけられ、まとまっていく結果、自然と生じいく集団のことです。
その集団では、文化や言語が共有をされているので――
人々は、当然ながら、互いに親しみを覚え、力を合わせようとするでしょう。
つまり――
その集団は、ただの集団ではなく、
――共同体
の一種といえます。
もちろん――
それは、昔ながらの血縁や地縁に基づく閉鎖的な村社会のような共同体とは違って――
相互の繋がりは緩やかであり、規模も遥かに大きくなります。
総じて今日の国家の規模よりも大きな繋がりとなるでしょう。