マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

政府:個人 = 超国家共同体:国家

 ――超国家共同体

 という組織は――

 その試みが仮に成功をするにしても――

 時代を経るにつれて――

 どんどん、

 ――世界政府

 とは掛け離れた組織になっていくのではないか――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ちょっと、わかりにくかったでしょう。

 

 少し観点を変えてみます。

 

 ……

 

 ……

 

 一般に、

 ――政府

 という観念は、

 ――個人

 が、自分たち一人ひとりの生命や財産を守るために考え出した社会的制度と捉えることができます。

 

 ――個人

 は、自分の生命や財産を、自分単独では、なかなか守れない――

 

 数人が集まったくらいでも、なかなか守れない――

 

 数十人でも、無理――

 

 が――

 数千、数万と集まれば、少しは守りやすくなる――

 

 その経験によって生み出された観念が、

 ――国家

 であり――

 その意思決定機関である、

 ――政府

 なのです。

 

 よって、

 ――政府

 は、

 ――個人

 に基づく観念といえます。

 

 ところが、

 ――世界政府

 は、

 ――個人

 に基づいているわけではありません。

 

 人の歴史を振り返ると――

 国家が少なくとも数百くらいの数で世界各地に乱立をし――

 それぞれに主権を備えているとみなされてきた現実があります。

 

 この現実を踏まえれば、

 ――世界政府

 は――

 一般に

 ――政府

 が、

 ――個人

 に基づいているように――

 ――個人

 に基づいている――

 とは、いえそうにありません。

 

 おそらくは、

 ――国家

 に基づいています。

 

 つまり、

  政府:個人

 という対比と、

  X:国家

 という対比とを考えたときに、「X」に何を当てはめるのか――

 その問いの答えの1つが、

  X = 世界政府

 なのです。

 

 つまり、

 ――世界政府

 の観念は、

  個人 = 国家

 の図式を前提としています。

 

 この図式は――

 概ね成り立っていそうではあります。

 

 が――

 厳密には近似でしょう。

 

 つまり、

  個人 ≒ 国家

 です。

 

 よって、

  X = 世界政府

 ではなく、

  X ≒ 世界政府

 なのです。

 

 では、「X」は厳密には何なのか――「≒」ではなく、「=」で表すと何なのか――

 

 ……

 

 ……

 

 わかりません。

 

 わからないから、ひとまず、

  X = 超国家共同体

 としております。

 

 要するに、

  政府:個人 = 超国家共同体:国家

 ということです。