マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

歴史は――

 ――相異を小異とし、相同を大同とする。

 という意での「相異を捨てて大同に就く」は――

 自分の属さぬ文化圏を知る時だけでなく――

 歴史を知る時にも有用であろう。

 

 ――歴史

 とは、

 ――社会の過去

 である。

 

 その「社会」は――

 自分が籍を置いている社会のこともあれば――

 自分が籍を置いたことのない社会のこともある。

 

 いずれにせよ――

 その過去は、自分の属さぬ文化圏といってよい。

 

 それに浸る時――

 まずは相異に目が向く。

 

 次いで相同に目が向く。

 

 そして――

 また相異に目が向き――

 

 そして――

 また相同に目が向く。

 

 ……

 

 ……

 

 その繰り返しである。

 

 ……

 

 ……

 

 ここでも――

 

 より大切なのは、

 ――相同

 である。

 

 ……

 

 ……

 

 歴史を美しく飾るべきではない。

 

 少なくとも――

 自分の属する文化圏の現在に醜悪なる何かを見出す者は――

 歴史の美化を慎むのが良い。

 

 その“醜悪なる何か”は――

 いかなる歴史にも埋没をしている。

 

 それを見落とすべきではない。

 

 歴史は――

 少数の英雄たちが彩る壮麗な叙事詩ではない。

 

 多数の凡人たちが吐き溜める陰鬱な証言集である。

 

 『随に――』