――リードしているときは動かない。
それがジーコ流の戦術哲学だと思っていました。
たとえ、どんなに劣勢でも、得点にみえる形で劣勢にならない限り、ピッチ内に介入すべきではない――
選手の技術や体力を信頼し、選手の自発性や創造性を妨げないように細心の注意を払う――それがジーコ流に違いないと――
事実、そのような見方が主流だったはずです。
ゲームの終盤、立て続けに失点を喫したとき、TVの前の僕には、その理由が見当もつきませんでした。
自分の見当が合っているかどうかは別にして、全く見当もつかないというのは初めてのことです。
理由は後でわかりました。
後半34分、ジーコ監督は、かねてより動きが鈍くなっていたフォワードの柳沢選手に変え、ミッドフィルダーの小野選手を投入しました。
報道によれば、敵陣でボールをキープすることが狙いだったそうです。
が、その狙いは伝わらず、ピッチ内が混乱します。
選手が察知できなかったくらいですから、TVの前の僕に、わかるはずがありません。
ピッチ内の混乱も想像外でした。
僕は敗因の第一は個々の選手の技術や体力にあるとみています。
やはり、欧州や南米の選手たちに比べると見劣りがする。
日本人選手が欧州リーグで容易にレギュラーをとれないことからも明らかです。
が、それは、わかっていたことでした。
その弱点を、どこでカバーするか――それが戦術の核だったはずです。
これまでのジーコ監督は、決して十分とはいえない日本選手の技術や体力を、ここ一番という重大な試合で、最大限に引き出すことを考えていたように思います。
そうであれば、やはり、あそこは動くべきではなかった――
柳沢選手を最後まで引っぱるか、同点にされた直後に動くべきでした。
戦術の核が揺らいだのです。
――力負けだ。
と感じた理由も、そこにあります。
戦術の核を揺るがされたのですから、完敗以外の何物でもありませんでした。