よめる本は、いくら速くよんでも意味がわかるし――
よめない本は、いくらゆっくりよんでも意味がわからない――
そういうものであるようです。
よめない本に、いくら時間をかけても、無駄だと思っています。
もちろん、建前としては、
――自分と相性の悪い本をよむことも大切だ。
となるでしょうが――
さて、そこまで時間を贅沢に使える人が、一体どれほどいるでしょうか。
よめない本をウンウン唸ってよむよりも、よめる本をサクサク捲(めく)ってよむほうが、楽しいに決まっています。
ただし――
サクサク捲ってよむだけではいけませんよ。
サクサク捲る中にも、
――あれ? これ、どういう意味だろう?
とか、
――こういう意味で解釈していいのかな?
とか――たまには立ち止まって考えるようでないといけません。
そもそも読書とは考える契機を得る営みですからね。
本末転倒はいけません。
*
今日は寸暇を惜しんで読書をしました。
僕と相性の良い本だったので、スラスラとよめました。
にもかかわらず――
途中、何度も立ち止まって考えることができました。
満足のいく読書体験です。
自分と相性の悪い本をよむのも大切かもしれませんが――
自分と相性の良い本を多くよむのが大切だと感じます。