安心して暮らそうと思ったら――
型にハマって生きるのがよい。
世の中の成功の多くは、型をヤブることで得られると思われがちだが――
実は、型にハマることで得られている。
型をヤブって成功する話は、ほんのひと握りにすぎぬ。
なぜ型をヤブる話ばかりが目立つのか。
それは、もうビックリするほど簡単で――
型にハマって成功する話は退屈であり、型をヤブって成功する話は痛快であるからだ。
型にハマって生きるのは、よほどの動機がない限り、辛く、苦しい。
「よほどの動機」というのは――
型にハマって生きる安心感に憧れているか、満たされているか、である。
もちろん――
型にハマって生きようとする人々を責める理由はない。
むしろ、賢い生き方だ。
辛く、苦しいことを、とりあえずは我慢すれば、安心して暮らせるのである。
生命維持本能に、これほどに忠実な生き方はない。
理にかなった生き方ともいえる。
が――
世の中には、型にハマる辛さや苦しさを受容できぬ者がいる。
型をヤブる痛快さに寄り添うことでしか、生きていけぬ者たちだ。
たぶん、僕も、そうである。
注意しなければならぬのは――
型をヤブる痛快さに寄り添っているからといって、いつも型をヤブれるとは限らぬ、ということだ。
むしろ、たいていはヤブれぬものである。
いつまでもヤブれずに、不安な日々を送っている。
つまり、
――型をヤブる痛快さに寄り添う。
とは――
いつか自分が型をヤブれることに思いを馳せつつ、いつまでもヤブれずに駆けずり回る――そういう生き方を象徴するフレーズだ。
型にハマれどヤブれども――
ともに過酷な現実が待っている。
けだし、生きるとは過酷な現実である。