マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「女」という概念は

 男が、ある女の人を指し、

 ――あれは、いい女だ。

 というときの「女」は――
 人を指しているではない。

 では、何を指しているのかと問われてしまえば、正直、困ってしまう。

 ――妖精だ。

 といえば、気取っていると思われようし、

 ――化け物だ。

 といえば、きつい御叱責を頂戴するだろう。

 とにかく――
 男にとって「女」は人ではないのである。
「女性」や「女の人」なら人ではあるが、「女」は人ではない――人以外の何かである。

 僕が強調したいことは――
 男が女について語るとき、男は、人以外の何か別の存在について語っているのだ、ということを――
 僕らは、もっと明瞭に意識するべきではないか、ということである。

 例えば、居酒屋などで、男たちが繰り広げる勝って気ままな女談義を耳にするとき――
 同じ男であってさえ、何度か突っ込みを入れたくなるほどに――
 あまりにも現実から遊離していると感じられる場合が、あるけれども――
 彼らが、人以外の何か別の存在について語っているのだとすれば、特段、突っ込みを入れる必要はない。
 そこでは、この世に実在する多くの女の人たちとは無縁の夢幻談義が、繰り広げられているにすぎぬのである。

 もちろん、

 ――男たちって、なぜ、私たちのことがわからないの!

 と憤る女の人々の気持ちは、わからぬでもないけれども――
 当の男たちは、ハナから女の人々をみていないのだから、仕方がない。

 男たちがみているものは、あくまでも、女である。

 そうやって、いつも女をみていながら――
 それでも、なかなか女のことがわからぬ。

 だから――
 男は、幾つになっても飽きることなく、女について語っている。

 本当は――
 女よりも、女の人についてこそ、語るべきなのかもしれぬが――
 残念ながら、それを語る男は多くない。

 理由は簡単だ。
 男にとって、女の人を語るということは――
 男の人を語るということと大差ないように感じられるからである。

「女」という概念は、男が発明した男のための玩具かもしれぬ。