マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

別れ話に異を唱える者の言い分

 ――どうして別れるっていうんだ。これまでも二人でやってきたんだから、これからも二人でやっていこうよ。お互いの方向性の違いなんて、最初から、わかりきっていたことじゃないか。

      *

 夫婦の話ではない。

 音楽のバンドの話である。
 ずっと二人組で活動してきたバンドが、あるとき、解散することになった。

 一人が解散を発起し、もう一人が解散に異を唱えた。

 冒頭の言葉は、もちろん――
 解散に異を唱えたほうの言い分である。

 結局、解散したそうなのだが――

      *

 この話をきいたのは、10年以上も前の話で――
 そのときは、
(なんか不甲斐ない言い分だな)
 などと思ったりもしたのだが――

 ここ数年――
 この言い分の重みが、しだいに心に染みてくるようになってきた。

 そうなのだ。

 どうせ、いつか解散するのなら――
 最初から二人組になど、ならなければよいのである。

 それぞれにソロで活動すればよかった。

 それでも一緒になったのだから――
 音楽をやり続ける限り、いつまでも一緒にやっていこうじゃないか――
 そうでなければ、いつまでたっても高みにいけないじゃないか――

 そういう言い分なのである。

 これは多分、夫婦もそうであろうが――
 一緒になるのは簡単であり――
 別々になるのは大変である。

 だから――
 もし、本気で一緒になる決心をするのであれば――
 別々になるときのエネルギーも計算に入れておいたほうがよい。

 一緒になるときのエネルギーだけを計算していても、割には合わないのである。