マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

納豆のことなど

 納豆嫌いの人は多いようですね。
 とくに西日本で育った人は、概して嫌う傾向にあるようです。

 僕は嫌いではありません。
 どちらかといえば、好きですね。
 あの納豆に特有の匂いや粘り気に、納豆の良さを見出します――だから「匂い」を「臭い」とは書きませんよ、ゼッタイに――(笑

 納豆に関しては、どうしても納得できないことがあるのですよ。
 それは、

 ――こうすれば、納豆嫌いも大丈夫!

 とかいう触れ込みの類いです。
 例えば、

 ――納豆が嫌いな人でも、こんな風に工夫して調理すれば、特有の匂いや粘り気を消すことができますよ。

 とかいうもの――
 そういう触れ込みがTVの情報番組などで紹介されているのをみると、つい、大声で叫びたくなるのです。
(その匂いや粘り気をなくしたら、もう納豆じゃないよ!)
 と――(笑

(そうまでして納豆を食べなくても、いいじゃんか!)
 と――(笑

 そうなのです。
 僕は納豆は好きですが、いわゆる納豆をアレンジした料理は大嫌いなのですね。
 納豆チャーハンとか納豆コロッケとか――

(ふざけんなあ!)
 と、ちゃぶ台を引っくり返したくなるのです(笑

 納豆から、あの匂いや粘り気を取ってしまったら、もはや納豆ではありません。
 納豆以外の何かです。

 それがマズいとか無価値とか主張するつもりはありませんが――
 それを納豆の代用食品と考える発想は、マズくて無価値でしょう。

 もう少し穏やかにいえば――
 納豆嫌いに納豆を食べさせようとする発想が、僕にはわからないのですね。

 いいじゃないですか――
 嫌いなものは嫌いなままで――ムリして好きにさせる必要はない――

 以上は納豆に限った話ですが――
「納豆」を「勉強」や「スポーツ」や「学問」や「芸術」に置き換えても同じだと信じております。

 ムリに好きにさせる必要はありません。
 いえ、ムリに好きにさせることなどは、不可能です。

 可能なことは、せいぜい目の前で美味しそうに味わってみせる程度ですよ。