TVでバンクーバー・オリンピックの番組をやっていると――
ついスイッチを切ってしまいます。
以前の『道草日記』でも触れているように――
やはり、僕は、どうにもオリンピックが好きになれないようです(笑
スポーツ観戦は好きですよ。
オリンピックが嫌いなのです。
国際平和の象徴として始まったはずなのに、今や完全に国威発揚の場になっている――
そのことの矛盾が、どうしても気になってしまうのです。
もちろん、サッカーや野球の世界大会にも国威発揚の様相は強いのですが――
あれら大会には、トップ・プロの選手たちだけが集って凌ぎを削ることで、次世代のプレイ・スタイルの模索するという側面があります。
サッカーのワールド・カップの歴史が、そのままサッカーのプレイの歴史になっている、などといわれる所以です。
ところが、オリンピックではアマチュアリズムが良しとされていた伝統があり、かつ様々な競技が寄り合わさっているために――
次世代のプレイ・スタイルの模索という側面が軽視されがちです。
様々な競技が寄り合わさることで、それまでは無視されがちであったマイナーな競技に光が当てられることは喜ばしいことですが――
もし、そうした側面に光をあてるならば、マイナーな競技だけを寄り合わせるようにし、かつ、その時々の開催都市が競技を自由に選択できるような工夫が必要でしょう。
メジャーな競技だけを集め、国家別メダル獲得数に自然と耳目が集るような現状では、国威発揚のための代理戦争といわざるをえません。
もちろん、実際の戦争と違い、人が殺し合いをしないで済む点は大いに評価してよいのですが――
現在のオリンピックは、スポーツを楽しむという観点からは遠く離れているように思えてなりません。