――最近の若者は働く意義を探そうとしすぎだ。
という意見があります。
例えば、ニートなどの問題も、若い人々の働く意義へのこだわりが強すぎた結果だ、と――
つまり、ニートの人々は働き口を選り好みしすぎているにすぎないとの立場です。
たしかに、ニートの問題には、そうした一面があるのかもしれません。
が――
若い人々が働く意義を探そうとするのは自然でしょう。
何の意義も感じることなく働くことは困難です。
どんな人も、最低限、
――カネを稼ぐ。
という意義だけは感じているのですから――
その働く意義を、より高尚なものに発展させる――あるいは、より複雑なものに展開していく――あるいは、より自分の満足に近付ける――
そうした過程が、自分の働き方を進化させることは、自明です。
自分の働き方が進化すれば、多くの場合は、カネの稼ぎ方が、より強固で安定したものになります。
自分の働き方を進化させる動機は、倫理面だけに由来するのではありません。
むしろ、カネの稼ぎ方を補強することにリアルな動機があるといってよいでしょう。
ニートの問題の本質は、おそらく、ニートの人々が働くことの最低限の意義すら――つまり、カネを稼ぐということの意義すら――感じられていないという点にあります。
働く意義の探しすぎでは括れないレベルの問題です。