マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

卑屈にならないことと驕慢に振る舞うこととは

 ――卑屈にならない。

 ということが、

 ――驕慢に振る舞う。

 ということと同じだと誤解している人が、多いように感じます。

 とくに年配の人に多いようです。

 これは、おそらく――
 年配の人は卑屈になることの効能を熟知しているためでしょう。

 たしかに、人付き合いなどで窮地に陥ったときに、あえて卑屈になることで状況を打開できる場合があります。

 が――
 それによって失うものもあるわけで――

 少なくとも、年若い人が卑屈になるのを回避したがるのは――
 卑屈になることで失うものがあると強く信じているからです。

 ですから――
 年配の人が年若い人に卑屈になる知恵――それが本当に知恵かどうかは熟慮するべきと僕は思いますが――それを心から授けたいと思うのなら、その効能を説けばよいのです。

 が――
 そうする人は少ないのですね。

 ――あいつは驕慢だ。

 で片付ける――
 あるいは、陰で小事をいう――

 それでは逆効果です。

「あいつは驕慢だ」のレッテルを貼られた人は、ますます意固地になって――
 卑屈になることを拒み続けるでしょう。

 卑屈にならないことと驕慢に振る舞うこととは違います。

 卑屈にならないということは――
 自分自身の納得を大事するとか、つねに自分の判断を信じようとする、といったことであり――

 驕慢に振る舞うということは――
 自分勝手な言動を慎まないとか、周囲の人々に与える迷惑を考えない、といったことです。