マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

運天免許

 きょうの宮城は、季節外れの大雪となりました。
 といっても、気温が高いせいか、そんなに積もりはしませんでしたが――

 とはいえ――
 朝の段階では、雪が、ものすごい勢いで降っていましたので――
 タクシーに乗ると、自然、雪道のリスクの話になりました。

「雪道の恐さは、一度やらないとわからないんだよね」
 と、運転手さん――

「一度やる」というのは、雪道で恐い思いをするということです。
 例えば、ノーマル・タイヤで思い切りアクセルを踏んでしまって車をスピンさせる、とか――

「ああ、たしかにね~」
 と、僕――

 実は、僕にも「一度やる」の経験があるのですよ。
 10年くらい前に、凍った坂道を上ろうとアクセルをふかしたところ、

 ――きゅるるるん!

 と車が一回転しました。
 横転しなかったのが不思議なくらい――

(冬の運転、恐るべし)
 を痛感しましたね。

 以後、雪道や凍った道を運転するときは、細心の注意を払っています。

 ――これでもか!

 というくらいの超安全運転――(笑

 そういう改心は、僕だけではありませんね。
 一度でも恐い思いをした人は、たいていは超安全運転を心がけています。
 かなりの臆病者にみえるくらいに――

 そこで、ちょっと気になるのは――
 そんな「恐い思い」を教訓にできなかった人たちが少なからず存在するであろう、ということです。

「教訓にできなかった」というのは――
 初めて「恐い思い」を体験したときに、運悪く、そこで亡くなってしまったようなことを指します。

 僕らは、たまたま死なずにすんだから、以後の教訓とできたわけで――
 もし、死んでいたら、それでオシマイでした。

 初めての「恐い思い」で生死を分けるものは何なのか。

 おそらくは――
 運でしょう。

 純粋に、運です。

「だからね~」
 と、タクシーの運転手さんが頷きました。

「――私ら、昔、運転免許を取るときに、よくいわれたもんですよ。『運を天に任せるから、運テン免許っていうんだ』ってね」

「なるほど――『運天免許』ですか」
「そうです」

 たしかに、そうなのかもしれません。

 きょうも、運転免許を取得するべく、教習所で頑張っている人たちがいるでしょう。

 が、そういう人たちの多くは――
 運転免許の「運天」たる所以を、まだ十分には理解できていないはずです。

 僕も、教習所にいるときは、理解できていませんでした。

 一度「恐い思い」をしなければわからない――
 が、そのときに、命を落とすかもしれない――
 人生の不条理が凝集されているように感じます。