マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

形而上学というのは

 形而上学というのは――
 正直、どういう学問なのか、本当のところは、よくわからないのですが――
 決して軽視はしたくない学問でもあります。

 実利性や実証性という観点から批判されることはよくありますが――
 実利や実証を越えたところに、形而上学の価値があるとみなせば、とりあえずは問題を回避できるでしょう。

 形而上学というのは、物理法則や基本概念が存在することの理由を探求していきます。

 例えば――
 物理法則の1つに、

 ――熱したものを放っておくと必ず冷めていき、ふたたび熱くなることはない。

 というのがあります。
 その法則を厳密に表現したり、その根拠を自然界に探したりすることが自然科学であり――
 その法則の意義や目的について、あれこれと考えていくのが形而上学です。

 法則は、人の脳が別の人の脳にわかるように記号化したものです。

 つまり、形而上学は、その記号化された命題の意義や目的について、あれこれと考える学問である、ということができます。

 ということは――
 形而上学は、脳が脳の作動原理について考える学問である、ということもできるでしょう。
 記号化は脳の作動原理の重要な一過程ですから――

 脳が脳を考えても、得られるものは少なそうですね。

 実利や実証が備わらないのは理の当然といえましょう。

 が――
 それこそが、形而上学の特長であるとみなせます。

 形而上学的な議論をするときに――
 僕らは、自分の脳の働き方の癖を見極めようとしているのです。