マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人が泣くときは

 ときには、
(思うぞんぶん、泣いてみたい)
 と思うのですよ。

 人前で思い切り号泣したい――

 が――
 できません。

 だって――
 僕が号泣しても、絵にならないのでね(笑

 ウザイだけです。

 が――
 絵になる人はいます。

 女性に多いのですが――
 男性にもいます。

 そういう人たちが、うらやましい――

 号泣が絵になる人は、どんどん泣けばいいと思っています。
 泣けば、あとで気持ちよくなるのだし――

 しかも、その姿が絵になれば――
 周囲の人たちだって悪い気はしない――

 だから――
 どんどん泣けばいいのです。

 が――
 なぜか泣こうとしないのですよね。
 号泣が絵になる人でも、容易に泣こうとはしない――

 理由を訊くと、

 ――怒られるから

 よって――
 仕方がなく我慢をしている、と――

 たしかにね――
 泣いているのをみかけると怒る人というのがいますよね。

 ――なんで泣くんだよ。

 とかいってね。

 無粋ですよ。

 だって――
 いいじゃないですか、泣きたいんだから――

 人が泣くのは自然なことです。

 第一、そこにはウソがない――
 よほど下手なウソ泣きでもない限り、泣くのは常に本物です。

 僕は、女優さんがお芝居で泣いてみせるときでも、そこにはウソがないと思っているのですね。
 お芝居であっても、涙があふれて雫(しずく)が頬をつたう事実は、消せないものですから――

 人が泣くときは――
 理由が大事なのではありません。

 結果が大事なのです。